2022年1月9日日曜日

朝鮮半島の味噌・醤油の記述

 韓国人が知らない「魏志東夷伝の高句麗と味噌・醤油」の真実     

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韓国人の知らない三国史記での味噌・醤油の記述の真実     

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韓国人の知らない「高麗史、幻の<醤>」

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韓国人が知らない「末醤」の真実

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まず、ほぼ同時代で、日本で醤・鼓・末醤、新羅で醤・鼓の記述。7世紀


同時期に、日本での記述。


10世紀に日本で和名抄に唐醤・高麗醤。醤・美蘓味噌


延長5(927)年『延喜式』

「醤油」の初出


高麗


雞林類事
醬曰宻祖 

https://zh.wikisource.org/zh-hant/雞林類事

12世紀


高麗沈没船馬島1号船木簡①

末醤

13世紀


『山家要録』(全循義 撰、1459年)  末醤薫造


『救荒補遺方 (1660年)』 末醤


新井白石『東雅』1719年 高麗醤の記述


『増補山林経済』(柳重臨著 1766年) 末醤


方言集釋 1778年

朝鮮は。日本は味噌


韓国人の知らない正祖実録での味噌・醤油の記述の真実     

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朝鮮最初の確実な「醤油」の製法の記述は、閨閤叢書(1809 年)

2022年1月1日土曜日

正祖実録での味噌・醤油の記述

韓国語のwikipedia に書いてある、

朝鮮ではよく味噌・醤油が食べられているという記述ですが、

調べてみると…



興陽県三島に向かった国の船が漂流して来る
正祖実録30巻、正祖14年7月11日基軸7回目の記事 1790年 清乾隆 55年

































  • 【太白山事故本】30本30冊80枚B面 【国編英人本】46本156ページ
  • 【分類】外交(外交) / 戸口(戶口) 

これは琉球の漂流民が食べていた記述で、それも

滓醬


ところで,醬院で各種の醬を作ると書いたが,それは〈滓醬(さいしよう)〉〈醬滓〉〈麤醬(そしよう)〉などというもので,おそらく,醬が発酵させたもろみをろ過した清澄な液体であったのに対して,〈滓醬〉は ろ過しない もろみみそのまま,〈醬滓〉は絞りかす,そして〈麤醬〉は粗製のものの意で〈あらびしお〉とでも読んだものと思うが,材料ないしはその配合の劣るものであったと思われる。

https://kotobank.jp/word/滓醬-1322639


つまり、味噌でも醤油でもありませんでした。

「末醤」

 

日本

奈良時代 藤原京で出土した木簡


高麗

沈没船で見つかったもの


漢字が読めない韓国人、

時空を超える。

「高麗史、幻の<醤>」

 









ここまでくると、逆に感心します。




○制曰、東北路諸州、昨年、大水、漂沒禾稼、百姓貧乏、其令本路勸農士、發倉、米、鹽、賑之 

https://www.koreantk.com/ktkp2014/kfood/kfood-view.view?foodCd=010327


三国史記での味噌・醤油の記述

 

この記述で分かるのは、

醤はあったということですが、

韓国人が醤油と主張するものは、鼓だったことが分かります。



これは中国で生まれたもので

中国南部で実物が発見されていたりします。

なので、まだ醤油以前の段階で、かつ、韓国起源ではありません。

2021年12月31日金曜日

魏志東夷伝の高句麗と味噌・醤油

善蔵醸。


原型である醤について、実は一言も書いていません。

意味は、(酒を)よく醸して(収)蔵するというものです。